22時の丸坊主

今日は会社の同僚の送別会だった。彼とはほとんど意見もかみ合わなかったけれど、それでもランチはよく一緒した。去っていく人にはいつも、今後の彼の期待よりも、これまでの哀愁なのか思い出ばかりが巡る。

彼はすずっと丸坊主だった。丸坊主は病んでいる。精神的に病んでいるはずだ。彼は自分でバリカンで刈っているのだそうだ。

実は、私も床屋が嫌いで、最近はもう5年くらい行っていない。その前はというと7年くらい前になる、7年前は結婚式の直前だった。5年前は、妻に説得されて10分\1,000の店に入った。店内の匂いや雰囲気、締められる首、耐え切れない沈黙やぎこちない会話の数10分間。それに耐えてお金を払っても、満足などできない仕上がり。とにかく床屋は苦手なのだ。10分\1,000の店も20分も待たされ、冗談じゃないと怒ったものだ。私もかなり病んでいる部類だとは自覚する。

いつもは自分ではさみでカットしている。もう慣れたもので鏡など見なくても掴んだ髪の感じでさくさく切れる。結婚したばかりのころ、妻に刈ってもらったことが2回ほどあるが、私の「あんたは床屋以下だ」のひとことで、それ以来完全に無視されている。息子には私のようになってほしくないという思いからか、妻は頻繁に息子を床屋につれていく。

話しは戻る。今日最後の彼の丸坊主は、今日の日を意識して刈り上げたばかりなのか、みごとに整えられていた。意見もかみ合わなかった彼だが哀愁を込めてなでてみた。22時の丸坊主は、汗と油でべっとりだった。元気にがんばってほしい。