トリアージの違和感

有限の資源とコストの中では要求や施策に優先順位をつけて取捨する必要がある。要求開発ではトリアージ(triage)と呼んでいるようだ。もともとは野戦病院での傷病者の救命の順序を決めるルールだ。要求や施策に優先順位をつけて取捨することをトリアージと呼ぶことには違和感を感じる。

エンジニアリングでは、優先度をつけることは「クラス分け」という分析の1つの手法として体系化される。さらに優先度は、一般に「重要度」と「緊急度」によって決められる。重要度はゴールに対する影響の程度であり、緊急度は対応時期に関する要求である。通常、重要なものほど緊急度は高いとはいえるが、中には重要ではあるがのんびり対応してよいもの、重要ではないが早めに対応すべきものが出てくる。若干、偏った見方かもしれないが、一般に重要度は利害関係者の視点/トップダウンの視点となるのに対し、緊急度は利用者の視点/ボトムアップの視点となるように思われる。利害関係者の圧力が重要度であり、現場の切迫感が緊急度である。システム開発の場合、緊急度は代替手段の有無によって決まることが多い。人系で対応できるならシステム化は遅れてもいいといったことはよくある。

実はトリアージは緊急度しか表現していないのだ。重要度を表現しない。傷病者の救命という視点のみで緊急度を決めているのだ。傷病者がどんな人物か、どんな傷病かといったことを考慮しない。傷病の状況だけから、A:見捨てる、B:救命の処置をする、C:命には関わらないが早めに対応する、D:軽くあしらうの判断をする。優先順位は、B→C→D→Aとなる。これは緊急度のクラス分けである。傷病者の切迫した状況だけが判断材料である。病院や医師、傷病者といった利害関係者の思惑が入りこまないのである。

いわゆる戦略・戦術・施策といったものに優先順位を付ける場合、緊急度よりもビジネス価値を産み出すか/向上させるかどうかという重要度の方が重視されるべきである。トリアージより別の言葉を探すべきだろう。素直に「優先度」と呼ぶ方がエンジニアリング的には嬉しい。

あえてトリアージの重要なポイントを挙げるなら、もう手の打ちようがないと判断される場合には残酷だが見捨てるということだ。だがそれもビジネスの戦略・戦術・施策といった場面で使うことはないだろう。