地鎮祭

tacohachi2008-05-12

今朝、地鎮祭を無事終えた。曇天ではあったが、週末からの雨と台風2号という雨の中日となり、結果的に絶好のタイミングで行えた。近隣への挨拶回りもひととおり済ませることができた。朝の10時前後であり、不在の家も多いだろうとの予測も裏切られ、どの家にも誰かしら居てくれた。お陰であいさつ回りの粗品が1つ足らない羽目となった。ゼンリンの地図で回るべきお宅をチェックしておいたのだが、1軒と思っていた家が2軒だったのだ。

地鎮祭の準備はほとんど工務店でやってくれるので、地鎮祭で私たちがすることといえば、鍬入れと玉串を捧げる程度のことだった。以下、地鎮祭の流れを報告しておく。(※関連記事:建築確認)

地鎮祭の準備

(1) まず日程を決める。大安で三隣亡でない日を選ぶ。時間帯はまず10:00だ。神社に予約する。玉串料(初穂料)は相場3万円から。車代は別。供物も依頼するなら別。日にちは5月12日の午前しかなかったので、いくつかの神社に電話して、稲毛神社さんに決めていた。

(2) 施主(私たち)、工務店、神社の分担を決める。ほとんどのものは工務店で準備してもらうこと、神主の送迎も工務店でやってもらうことで調整した。私たちは神社への奉献酒と玉串料を用意して、10分前に現地に行くだけでよいとのことだった。実際には近隣への挨拶を早めの時間帯に行いたかったので45分前には着いた。

奉献酒は「奉献」と熨斗のついた一升瓶2本だ。自分の好きな銘柄を選んではいけない。一般には「松竹梅」だ。熨斗には施主は名前を書いてはいけない。妻が前日、安価に仕入れてきた。玉串料は最低3万円だ。4万円はありえないが5万円のハードルは高い。やはり3万円に落ち着いたのだ。

(3) 敷地の中央に2メートル四方に笹竹を立て、4辺に注連縄を張る。東南の笹竹の根元に砂を一袋分を開けて山を作る。ちょうど子供が作る砂場の砂山の要領だ。鍬入れに使う山だ。

(4) 稲毛神社からは2人の神主が来られた。まず「おめでとうございます」と挨拶される。地鎮祭を行うということはおめでたいことなのだと初めて知る。確かに、地鎮祭の前に近隣の方に挨拶に伺ったのだが、年配の方に「おめでとうございます」という方もあった。

(5) 四手を注連縄に挟み込み、祭壇を組み立てて、榊を立て、供物と奉献酒を供え、玉串、鍬と鋤、壷が準備される。供物には、鯛、昆布・するめ、根菜(蕪・人参・ごぼうなど)、お神酒、米、果物(りんご・みかんなど)。奉献酒も施主、工務店設計事務所、不動産屋から合計4セットが並ぶ。祭壇の中央には、小さな四角い壷が置かれている。

(6) 鍬入れの手順、玉串の扱い方、拝礼のやり方を若い神主が教授してくれる。さあ、神主2人が西に並び、施主(私と妻)・工務店・・・の順に南に並び、地鎮祭の始まりだ。

地鎮祭の進行

(7) まず神様を榊に呼び、儀式が始まる。東南、南西、北東、北西の4隅で榊を振り、細かく刻んだ四手を撒く。(中略)そして、いよいよメインイベントの鍬入れだ。施主である私が鍬担当、工務店の方が鋤担当。東南の砂山に右左右と3回鍬を入れる。大きな声で「えい、えい、えい」とやれと指示されていたので恥もなく大仰にやった。鍬に続いて鋤の係も「えい、えい、えい」とやる。
(8) 玉串を一人ずつ供える。神主に軽く礼、前に進んで90度回転させた玉串を掲げて榊に向かって一礼。さらに玉串を右回りに180度回転させて向きを変え、祭壇に供える。一歩戻って、二礼二拍手一礼。さらに戻って神主に軽く礼。(中略)
(9) 小さな四角い壷を鋤入れした砂の中に埋める儀式をする。本来、実際に地下に埋めるものらしいが、まだ当然基礎工事はできていないので、後日埋めるようにと工務店の方に委ねられていた。神様に帰っていただき、地鎮祭は終わる。4隅に米・塩・酒・水をあげて回る。以上で終わりだ。

地鎮祭の終り

祭壇を片付ける。台風も近いこともあり、笹竹など一切のものを片付けた。供物、奉献酒はすべて神社さんのものとなる。勿論、用意した玉串料を差出し、お礼を言って本当の終わりだ。神主二人で、準備も結構あり、あれだけのパフォーマンスでは3万円では申し訳なかったかなと私は思った。供物、奉献酒が代金の代わりにもなっているので「いいんじゃない」と妻はいう。

近隣の6軒には、地鎮祭の開始前には全て回ることができた。これからの近所づきあいが何年も続く人たちだと思うと、どんな人たちかと不安と興味が湧く。玄関あたりを伺う最初の機会でもある。古い家が多く、玄関にピンポンもない。(※ピンポンの正式名はなんだ? レンジでチンのようだ。)いきなり、玄関の引き戸を叩いたり、「ごめんください」と叫ぶのには若干抵抗があった。なにしろ、セールスの経験もないので、見ず知らずの家を訪問する機会などほとんどなかったのだ。

地鎮祭の準備をしていただいた工務店の方などにお礼に行く。実は粗品の数が足らなくなり、「お礼はのちほど」と告げて、妻を急いでさいか屋の文明堂に買い足しに走らせていた。お礼は、そのお菓子とビール券で対応した。