古文書#3
古文書の面白さをお伝えするために、ピックアップして1つ紹介しよう。召使の中国人アカンが逃亡したらしい。そこで捜査のための大至急の回覧板が回った。
亜米利加 コンシール召使 支那人 名 アカン 右は、神奈川宿本覚寺に罷受け候処、昨夕立出で候まま立帰らず、 最寄宿村立寄り候哉も計り難く、見懸け次第留置き早々申越すべ き事。 未六月十八日 関東御取締出役 百瀬章蔵 石井鑵之助 右、戸塚宿道案内、由五郎を御使い御達しこれある間、早刻組合 村へ飛檄相廻し申し候。 +-------------------------------+ | 急廻状 | | 神奈川宿役人 | | 白根村始 | +-------------------------------+ 支那人壱人、神奈川旅宿去る十六日夕逃去り候に付き。 御取締り様方より尋方仰付けられ候処、見当り候間尋方に及ばず、 この段断りまで申入れ候。この書状早々順達留より御返し成られ べく候。以上。 未六月廿五日 神奈川宿役人 印 白根村 印 木曽村 小野路村 印 木曽村にては披見承知の調印これなくに付き、その段添書いたし、 木曽村へ継返し申し候。尤も同村より神奈川宿へ返却なされ候様、 申し遣わし候。
木曽村だけ不手際で印を押さずに回してしまったらしい。もう一度チェックし直せと言っている。
安政六年でも現代と似たような状況だったのだ。入国して逃亡して不法滞在になるケースもそうだし、事務的なワークフローのように確認印を義務づけたりもそうだ。回覧板というものもかなり昔からあったようだ。