せめてこけらを語れ!

なぜ夢が語れないのだ。サンテクジュペリの「If you want to build a ship, don't drum up the men to gather wood, divide the work, and give orders. Instead, teach them to yearn for the vast and endless sea.」を思い出す。船を造りたいなら、人に材木を集めさせ、仕事を分担し、指示を与えようとしないことだ。まず、広大で果てのない海への憧れを語ることだ、と。

ビジョン(vision)とはいい響きの言葉だと思っていたが、よく考えるとビジョンを共有したいのかといえばそうではないような気がしてきた。ビジョンではなく、夢を与えられたい、あるいは夢を共有したいのだ。ビジョンはどうも現実路線の延長にしか感じられない。材木集めとビジョンは明らかに同じ路線に乗っているのだ。はったりであってもまだ広大で果てのない海を語ってくれたほうがいい。

話変わって、妻が「柿」は「かき」、では「杮」はなんと読むと試してきた。字は似ているが、前者は木+市(いち)で、後者は木+一+巾なのだ。私は負けた。後者は「こけら」だ。こけら落としのこけらなのだ。あ〜、こけらって、こんな字だったのか。こんな字でさえ、感動を与えてくれるのだ。

そうだ、いまさらありふれた「柿」の話ではない。似ているけれど、ちょっと違うだけで夢や感動を与えてくれる「こけら」になれるのだ。(※材木のけずりくずがこけらである。あっ、偶然話がうまく繋がった!)