デスノート

ひさびさに漫画を読んだ。「DEATH NOTE」のコミック本全12巻だ。ランチでの話題について行けるようにと、imadaさんが貸し出してくれたのだ。

漫画はもう15年くらい読んでいなかったので、通勤電車で12巻を読み終えるのに2週間以上かかった。それでもストーリー展開を楽しみに読むことはできた。ストーリーは「あんな奴、殺してしまいたい」という願望がかなったらどうなるかという恐ろしい話なのだが、せいぜい「あんな奴、痛めつけてやりたい」くらいにとどめておいて欲しかった。コミック本のフォントサイズにも苦労させられた。老眼の前兆のためか、眼鏡を外した方がよく読めることに気づいてからは少し楽にはなった。フォントサイズといえば、デスノートが最終兵器として存在したら、限られた容量を最大限に活用するにはどれだけ小さいフォントで記述できるかがポイントだろうな、と思ったりした。

回想

以前、学生の頃などよく漫画を読んでいた時期はあったが、ある時/ある年齢から全く読まなくなった。文庫本の小説に転向したのだ。だが、漫画は私の命の恩人でもあったことは確かだ。

26歳くらいのとき、私は4カ月くらい、ノイローゼというか鬱病というか精神の病になったことがある。まともな思考ができなくなり、集中力もなく仕事などできない。混む電車に乗って通勤もできない。考えることといえば悲観的なことばかり。それでもなんとか打破する方法はないかといろいろ考える。まず本を読むこと、集中できない。TVをみること、これさえも集中できない状況だった。一人では解決できないと判断して、旅行し、人と接することで打破できないかと考えた。大して人との会話もできないし、乗り物へは長時間乗っていられないほどの精神状態だったので、まさに決断だったのだ。

友達の実家(三重)にお邪魔させていただいたのもそのときだ。伊勢神宮、大王崎などにも案内してもらった。その後、とりあえず奈良シルクロード博に行ってみた。今ネットで調べてみて、奈良シルクロード博が開催されたのは1988年のことだと確認した。奈良からどこへ行こうとしていたかは思い出せないが、福井の東尋坊に立ったことは覚えている。奈良から福井の友達に電話して向かったのだろう。そこでも友達の家にお邪魔させてもらった。その後は、のんびり山陰を回って広島に帰省したはずだ。田舎に帰省しても、くつろげない、自分のいどころがないように感じて早々に引き上げた。

帰りの新幹線も切符は、岡山〜新横浜間で購入していたにもかかわらず、まず名古屋で一旦降りてこだまに乗り換え、こだまを熱海で降りて東海道に、さらに小田原で下車しながら、ものすごい時間をかけて苦しみながら自宅まで戻った。ちょっと長く電車に乗っていると貧血のような状況になってしまったのだ。東京〜広島間の往復は100回近いはずだが、そんな経験はそのときだけだ。実は、そのトラウマは今でも残っていて、混雑する電車では気分が悪くなり、ちょくちょく一旦下車している。川崎〜品川間も怖くて東海道に乗れず、京浜東北を利用しているのだ。

話が長くなったが、当時は、そうまでしても自身の精神状態を回復できなかったのだ。だがそのとき、ふと漫画を読んでみたら、なんと最後まで読めたのだ。それからは漫画ばかりだ。漫画を読んでいるときだけ、精神状態は良かった。タイトルは覚えていないが、ビックコミックビックコミックオリジナル、ビジネスジャンプなどなどだった。漫画本を置いてある喫茶店にもよく通った。数ヶ月でなんとか回復した。漫画のおかげでなんとか生き延びたのだ。

そのうち文庫本の小説が面白く読めるようになったこともあり、漫画は全く読まないようにした。封印したのだ。漫画は私にとって貴重な処方箋なので、むやみには使えないのだ。という経緯から、文頭に続く。