「主体」と「対象」論争

会社でUML2.0仕様書のユースケース図での主体(Subject)について議論されていた。主体(Subject)の外側にユースケースを描いていいのかも含めて。その結論めいた要約で「主体(Subject)とは対象である」というようなことが言われていた。これはまずいと思った。Subject=主体、Object=客体=対象だ。上の表現だと「SubjectはObjectである」と誤解することになりかねない。

客体(Object)は主体(Subject)がないと顕在化しない。主体のない状態でそこに存在しているかのように思えるものは実は空(くう)なのだ。色即是空の空なのだ。あるとかないとかの意識のない世界だ。そこに主体が現れることで、その主体の意識された行為によって客体が顕在化するのだ。

ユースケースは主体の意識された行為といえる。その行為の先に客体(Object)があるのだ。

ただ日本語では、対象世界・対象領域などのように対象≒テーマ=主題≒主体のように表現してしまうので誤解が生じやすい。この対象はtargetというべきものだ。

ユースケース図では、システム境界=主体(Subject)ではなく、システムという主体の意識の内か外かを識別しているに過ぎない。システムという主体の意識の外に、行為であるはずのユースケースが置かれるということはありえないはず。一見、外に置かれたように見えるユースケースは実は主体が異なる。そのユースケースの主体は別物なので一緒に議論してはいけない。

しかし、システムという主体の外側に別な主体を設定することで、たとえば業務という主体を設定することで、システムという主体の意識の外側に、業務という主体のユースケースを配置することはできそうだ。やはり、主体が異なるのだから一緒に議論してはいけない。また、特定の主体が1つしかない状態で、その主体の意識の外側に行為であるユースケースを配置するということはありえないと言える。

と考える。