へのつっぱり

妻は今日は仕事を持ち帰っていないので、子供を寝かせつけるとき、本人も「朝まで寝る」と宣言して寝た。洗濯機には2日分の洗濯物がぎっしり詰まっているし、台所のシンクにはぎっしり汚れた食器が積まれていた。いつも以上だ。しかし今日は、私も株価が戻して気分がいい。缶ビールを飲みながら1時間半かけて洗濯物と洗い物を片付けた。

話は関係ないのだが、今日「へのつっぱり」という言葉も響きがいいなと、ふと思った。「へのかっぱ」よりは使える場面も多そうだ。意味は「倒れる時におならをつっかい棒にしても何の意味もない」ということらしい。誰が考えたのか、おならがつっかい棒になる訳もない。「糸瓜の皮」と同意だ。「屁のつっぱり」は「クソの足し」と対句らしい。「屁のつっぱりにもクソの足しにもならない」のように使う。まともな大人が「クソ」とは言いづらい。だが「屁」なら許される。「屁理屈、言うな。このへっぴりごし。おまえは屁だ、いや屁にもならない」のようの屁には響きのいい言葉が多く、ぞくぞくさせられる。ついでに「へっぽこ」、「へなちょこ」など「へ」という音がいいのかもしれない。