古文書

古文書を読むのが他人に言えない趣味なのだ。いろんな外国語を学習し、ヒエログリフトンパ文字マヤ文字にも興味があった。学生のころにはヒエログリフで文章が書けていたくらいだ。だが、そのくせ日本の古文書が読めずにいた。博物館や美術館に展示の文字が読めないのだ。7年くらい前、これではいかんと思い、古文書の講座に通ったのが最初だ。

古文書中級という講座だった。さすがに入門や初級は受けなくて大丈夫だろうと、中級からスタートしてみた。初日、これから10日間かけて学習する教材となる古文書のコピーが渡された。タイトルに大きな文字で3文字書かれている。読めない。その3文字さえ読めないのだ。衝撃たっだ。なんと未熟なことか。

数分後には分かった。タイトルは「役用留」だった。安政六年「異船一件・役用留」である。江戸末期、開港により外国人が横浜に入ってくる。長期滞在するものも多い。彼らは習慣上、週末はレジャー・小旅行を楽しむのだ。遊歩という。幕府は範囲を特定して遊歩を許した。しかしいろいろなトラブルが起きる。その遊歩とトラブルについての報告を役人が整理したものが「異船一件・役用留」である。

                        外国奉行支配定役・竹中半之助
                        御小人目付・高橋彦三郎
一  人足壱人づつ
    これは両懸け壱荷物人
    但し、雇賃銭差出し候事。請取書取置き候事。

右は、今廿二日八王子最寄地勢検分として出立いたし候間、書面の人足
村々遅滞なく継立て道筋役人ども前村まで出居り案内いたし候様致すべし。
尤もそれぞれ取調べ通行致すべく処、取急ぎ候故、別紙の通り相心得、
今晩中何村にても八王子旅宿まで差出すべく候。この触書、早々順達留
より同所へ相返すべく候。以上。

    五月廿二日

出だしはこんな感じである。遊歩を許可する地域を決めるための調査で、八王子周辺の村に地勢検分のための人足を要請した回覧板だ。

                        御小人目付・高橋彦三郎
    武洲鶴間村より
        右村々役人中

一  八王子道村々境より境まで往還町数何間これある旨、認め出すべき事。
一  右道筋へ相懸り村々御料私領石高を認め申すべし。且つ私領に候わば、
  地頭勤仕てまたは不勤て、右勤め候筋書出すべし。尤も頭支配に候わば、
  頭姓名これまた書載せ領主・江戸屋敷ども巨細取調べ差出されべく候。
    但し、御料私領打交り候わば、内訳相認めべき事。
一  右村々名主ならびに百姓家・寺院等にて十人程も旅宿いたし差支えこれ
  なき家これあり候わば、書出し候事。
一  横道往還これあり候わば、書出すべく候事。
    但し、右へ往還里数何程と申す事認めべき事。且つ脇往還これなく候わ
  ば、これなき旨認めべき事。

右の通り取調べ、名主ならびに印紙を以って早々差出すべき事。

地図を作成するための道の情報と、遊歩で宿泊可能な家があれば申告せよとの通達だ。

いまでこそ少しは読めるが、講座の最初は、開くページ開くページ、読める文字や単語はわずかしかない。「候」などいう文字はまず読めない。候文であるにも関わらずだ。候事、候間、候様、候故、べく候、候わば、候節など特異な言い回しがある。少しづつ読んでいくと、古文書のパターンが掴めてくる。

ちなみに古文書といえば、95%が江戸から明治初期のものである。それ以前のもの、安土桃山以前のものはほんの5%くらいしかない訳だ。しかも古文書はほとんど役人が書き残したものだ。ほとんどの古文書というものが候文ということになる。

続きは後日。